曖昧糢糊

文字を喰らい、文に喰われる。活字中毒の独り言。

〇〇だったら、辞めればいい。

世の中的にはあまりよろしくない考え方なのかもしれないけれど。

 

私は何事もだいたいのことは「〇〇だったら、辞めればいい。」と思って生きている。

 

「できないんだったら、辞めてしまえ。」というように、簡単に(特に相手の心を傷付ける可能性があるときには)人に言っていい言葉でないことも、心得た上で。

 

私は私自身に、「出来なかったら」「合わなかったら」「駄目になったら」「嫌になったら」…「〇〇だったら、辞めてもいいから。」と心の中で言っている。

 

辞めてもいいから、死ぬ気でやれ。辞めてもいいから、好きなようにやれ。辞めてもいいから、ガムシャラになれ。辞めてもいいから、一生懸命打ち込め。

 

好き勝手に生きるための、私の『武器』。

 

好きなことをしたい、新しいことをしたい、楽しいことをしたい、ああしたい…こうしたい…、でも1歩が踏み出せない。でも1歩を踏み出さなければ、何一つ始まらない。

 

だから自分自身に逃げ道を与えて、その1歩を軽くするしかなかった。

 

世界はそれを、“弱さ”と言うのかもしれないけれど、私にとってそれは、“強み”だ。

 

辞めてもいい、そのたった一言で、知らない世界にも飛び込めるし、それをモノにしてみせる。

 

死ぬほどつらくなったら、辞めてしまえ。

 

そうやって生きてきて、確かに逃げたこともある。でもね、逃げなかったら今生きていないかもしれない。だから、逃げるのもいいかなって思うのよ。

 

そりゃあ人生には「逃げちゃいけない時」だってあって、そういうときは逃げないけれど、そういうときはきっと何か守るものがあるから、逃げるっていう選択肢なんて微塵も頭に浮かばないのよ。

 

それが前提にあるなら、普段から、いつでも辞めれる、って思ってもいいんじゃないかなって。

 

「こっちはいつでも辞めれるんだぞ」って横柄になるやつじゃなくて、「いつでも辞めれるけど、好きでやってるから」ってクオリティを上げていけたらいいなと。

 

色んな事に妥協したくない、だからに妥協するくらいなら辞めてやる。

 

確かにそれが会社なら、迷惑がかかるのも確か。

 

だけど、どうせ定年まで勤め上げれるかどうかなんて定年迎えてみないと分からないじゃない?辞めるときに引き継ぎちゃんとしたりとか、自分の居なくなったあとのこととか考えて残していければいいんじゃないかなって思う。

 

だって「独立するために」って辞めるのと何が違うの、ってならない?

 

それに会社っていうのは、どれだけ優秀な人材が抜けても、確かにパワーは減るかもしれないけど、結局は何事も無かったように回り続けるものだから。

 

「自分が辞めたらお店が回らなくなる」「自分が辞めたら仕事が滞る」なんてくだらない理由で居続けるくらいなら、いっそ辞めることを伝えて穴埋めの準備をしたほうがずっと生産性がある。

 

雇われる側でいて思って、雇う側になってもその気持ちは変わらない。

 

なんて偉そうに書き連ねたけれど、「いつでも辞められる」と思いながらも「好きだから」と無理をしていた頃が私にもあって。

 

その時、私をその会社に「この子、今ここで採用しないと絶対ほかの会社に取られる」と面接日に採用してくれた方が退職されることになって、最後の日、私に「辞めてもいいから。無理しちゃだめだよ。」と言ってくれて、その言葉でそこからまた少し頑張れて、その後落ち着いて前向きな退職をすることができたのだけど。

 

その時の出来事が、私に絶対的な自信をくれて、今まで以上に「〇〇だったら、辞めればいい。」という言葉で頑張れるようになったんだよね。

 

だから背負い過ぎる人は、自分の心を守るためにも「〇〇だったら、辞めればいい。」って心を軽くして、「また前に進んで欲しいな」って思うのです。

 

続けるしかない、って選択肢がひとつしかないのに決断するんじゃなくて、その言葉で、続けるか辞めるか、ってちゃんと選択肢がある状態で決断して欲しいな、と思います まる